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人と人を“笑顔の架け橋”で結ぶ、独自のスタイルを貫く希少な男性ウェディングMC。

facebook、LINE、Twitter・・・。いわゆるSNSの普及は、インフォメーションとコミュニケーションの形態を劇的に変化させてきた。インフォメーションにおいては、今や誰もが情報の受け手であるだけでなく、誰もが簡単に送り手になれる。生活の中で「OFF」であった日常の情報もSNSに投稿されるようになり、周囲の人の情報を多く受信できるようになった。一方、コミュニケーションにおいては、SNSが非リアルな環境にもかかわらず、遠く離れた友人や、会ったことはないけど何となく知合いのような人が、すぐそばに居ると錯覚して安心したり、永らく会っていなかった人との思わぬ再会があったり(あくまでネット上ではあるが)…。常に誰かと繋がっていたいという人が本来持っている普遍的な欲望を満たす新しいツール(媒介)となっている。

そのようなSNS全盛の時代にあって、それでも人として人と人を繋ぐ“媒介”となることを自らの役割と捉え独自の活動を続ける方がいる。ウェディングの司会業を中心にミュージシャンでもあり、企画マンでもあるマルチな才能を発揮しながら、生業はと聞かれれば「笑顔の架け橋」であると答える梅田潤さん、通称、梅潤(うめじゅん)さんにお話を伺った。

 


ご縁とタイミングに生かされてきて、今がある。

ーーー多方面でご活躍なさっている梅田潤さん、人呼んで梅潤さんが、沖縄に暮らすことになったあたりからお伺いできますでしょうか。

「出身は山口県なのですが、大学進学で沖縄に来て、ずっとやっていた音楽を続けたくて、結局卒業後もそのまま沖縄に居着いてしまいました。ロック音楽をやるなら、本物のロックがある沖縄だと思いましたので。ただ大学卒業後、さすがに音楽だけでは食べていけないので、少しだけテレアポの会社に就職したりもしたのですが自分には向いていないと思い、すぐに辞めて、どうしようかと思ってた時に、たまたま高良レコードさんに拾っていただいて、そこでアルバイトとして働くことになりました。」

ーーー沖縄音楽界を語るに欠かせない老舗レコード店ですね。

「はい、学生時代から、そこによく出入りしていたもので・・・。そこでは県内の各放送局に新譜CDを配達するのが主な仕事だったのですが、2年くらい経った頃からいつまでもアルバイトではいけないなと思っていた時に、顔見知りになっていた、あるラジオ局のディレクターさんからアシスタントディレクターの欠員が出たので、やってみないかと言われ、お世話になることにしたんです。」

ーーーそこからが本格的なキャリアのスタートと。

「そうですね。そこで番組づくりや裏方の仕事を学びました。そして2年間の契約が切れるタイミングで、今度はその放送局が契約ディレクター制度というものを導入するということで、当時の制作部長に声をかけて頂き、さらに約5年、今度はディレクターとして様々な番組制作に携わらせていただきました。」

ーーータイミングがすごい。

「はい、タイミングもさることながら、いつもそれを繋げてくれる人がいて、まさに人のご縁です。そしていよいよ33歳の時に独立を決意するのですが、結婚はすでにしていて、ちょうど2人目の子供が生まれたばかりだったので、妻からは少し反対もされましたけど。幸い、独立後、そのまま継続的に、その放送局のラジオカーのレギュラーを頂けて、どうにかスタートを切れたんです。」


人とのご縁をきっかけに司会者、そして企画マンとしてのキャリアが始まる。

ーーーところで音楽は続けられていたのですか。

「はい。ちょうど契約ディレクターをしている頃に、北谷のMOD’Sというライブハウスのオーナーから、新たに始める“音祭”というイベントに参加しないかというお声がけを頂きまして。それまでもライブ活動はしていたのですが、僕の場合、楽曲より合間のトークの方が長くなってしまうことが多くて(苦笑)。それが面白いということで“音祭”の司会をやらないかということだったんです。」

ーーーミュージシャンとしての出演オファーではなく!?

「そうなんです。でも、面白そうなんで喜んでお受けしたんですが、ミュージシャンとしてもステージに立ちたいということも了承いただきました。裏方、司会、演者の全部をやるのですが、お陰さまで、このイベントも約10年続いてるんです。このイベントがきっかけで司会というお仕事の楽しさも知る事となり、独立を考えるうえでの大きなきっかけにもなりました。」

 

ーーーそれが司会者デビューとなった訳ですね。

「はい。それから独立してすぐ、栄町市場の地元イベントがあるということで、自分も司会者としてのキャリアを積みたかったので、ギャラはいらないからと自ら売り込んだんですが、幸いやらせていただくことになり、それも10年続いています。このイベントでは単に司会者としてだけではなく、裏方の仕事でも自分のスキルを役立てて頂けないかと考え、町興しというか、地元に還元するための企画も提案させて頂き、たとえば団扇を作って協賛金を集めたりして商店組合に多少なりともお金が落ちる仕組みを作りました。今では気を使って頂き、わずかではありますがギャラも頂けるようになり、感謝です。」

 

ーーーなるほど、単にギャラをもらって司会を請け負うということだけにとどまらない。

「今では県内でも、国や行政からの補助金・助成金を活用して次々と大きなイベントが開催され、県外からの観光客も増えて、それなりに盛り上がっているとは思うんですけど、ただそれが本当に地域の地元の方々を潤しているのかと少し疑問に感じるところもあって。規模は小さくても、実際にそこで暮らす人や働く人が笑顔になれるような、本当の意味での地域密着や地域活性化として、そしてほんの少しでも潤いに繋がるようなことへの取組みもお手伝い出来たらなと思っています。」

栄町市場・・・戦後の復興時に誕生し、現在もなお当時とほとんど変わらぬ姿で現存する、日本にただ一つ残された歴史の証人とも言える沖縄県那覇市安里にある市場。最近では若い店主が営業するおしゃれなバーやこだわりのあるショップなども続々オープンし、ディープな沖縄の観光スポットとしてブームを呼んでいる。

 

こうして、演者でもあり司会者でもありながら、同時に裏方として他のスタッフと一緒になって創り上げていく独自のスタイルを貫く希有な存在の梅潤さん。地元やその人の輪の中に深く入り込み、人との縁や絆を大切にするからこそ、他にも地域の商店街のイベントや、平仲ボクシングスクールが主催するプロボクシングのイベント“MUGEN挑”シリーズの司会兼総合プロデューサーなど、そのどれもが単発で終わらない長く続くレギュラーの仕事となっている。
そして今また、恩納村にオープンした小さな結婚式場として話題の「沖縄イル・ド・レ チャペル(旧ラ ロシェルチャペル)」 において、ウェディング司会者として活動をスタートさせている。

 

「MUGEN挑」シリーズ・・・ホームページ:http://boxer-hiranaka.com/hiranaka/mugen/

沖縄イル・ド・レ チャペル(旧ラ ロシェルチャペル)ホームページ:https://www.petitwedding.com/shops/onnason/


結婚式の司会者は、リピーターの無いサービス業

ーーー結婚披露宴で、男性の司会者というのは少ないと思うのですが、男性司会者として意識していることや、ここが違うといったところはあるのですか。

「いえ、特にはないのですが、結婚式の司会者って、いちばん最後のスタッフなんですね。普通はお客様とプランナーが打合せして、衣装から料理から演出となって、そして台本が出来上がって、そこでようやく司会者が入ってきて…という。でも私は出来るだけ最初の段階から入ってチームとして取組んでいくようにしています。」

 

ーーーなるほど。ここでも梅潤さんのスタンスが貫かれているのですね。

「結婚式って、もちろん主役は新郎新婦さんなのですが、でも実際にはそのご両家の家族や親戚も主役なんですよね。だからその誰もが笑顔になれるようなものにしたいですよね。結婚する本人達がいいと思っても、ひょっとしたらその演出が親戚のおじさんにしてみたら、不愉快に思われることもあるかもしれない。そんなことまでアドバイスしながら、スタッフと一緒になって創り上げたいんですね。そしてそれは、スタッフ同士でも言えることで、せっかくプランナーさんが頑張って作った台本に、後から来た司会者が勝手に変更したりしたら、それはそのプランナーさんにしてみれば面白くないじゃないですか。だから、主役のお二人、ご両家の皆様、ゲスト様、そして我々スタッフがチームの一員としてその場を最高のものにして誰もが笑顔になれる、そんな結婚式を創っていきたいと思っています。」

ーーーやはり一生に一度のことですからね。(例外もありますが…)なにかこれまでで面白いエピソードとかはありますか?

「エピソードというのではないのですが。私は新郎新婦さんに、結婚式を創っていく上では喧嘩はして当然ですよって言うんです。これから先、それぞれの親族も含めて未来を創っていく訳ですから、それはいろんなことがあって意見の対立とかもあって当然ですよって。だから結婚式に至るまでの喧嘩はその将来に向けての予行演習と思ってやりなさいってアドバイスします(笑)」

ーーー喧嘩のススメとはおもしろいですね。しかしそれも梅潤さんならではのアドバイスですね。

「でも後に、梅潤さんに喧嘩はするよって言われてたから、喧嘩してても安心だったと言ってもらえたことがあって、このアドバイスに感謝されることもあるんですよ。もちろん喧嘩を奨励する訳ではなく、あくまでも二人で同じ方向に向いていくためのものだということは忘れないでね、とフォローはしますが(笑)。結婚式の司会業ってリピーターの無いサービス業なんですよね。だからこそ、その場限りではない、こういったお話を頂けるととても嬉しいですね。でもリピーターがないとはいえ、お陰さまでクチコミで親族の方や友人を紹介してもらうことも増えてきましたね。」


笑顔の架け橋として

ーーーお話を伺っていると「笑顔」というキーワードがよく出てきます。

「話は戻るのですが、私が独立を決意した頃、妻に一体あなたは何がしたいのか。何になりたいのかと言われたことがありまして。職業的には司会業であったり、ミュージシャンであったり、企画演出家であったりするのですが、そういうマルチプレイヤーでありながら、はたして自分自身が一体、何をするために独立するのだろうということを、とことん突き詰めて考えてみたんです。そこでようやく導き出したのが名刺にもある“笑顔の架け橋”という言葉だったんです。」

ーーー笑顔の架け橋とは、どういったことなんでしょう。

「つまり、自分がそこにいることで人と人が笑顔になれる。それは音楽だっていいし、企画のアイデアだっていい。もちろん司会者として演者と観客を橋渡しする役でもいいし、とにかく自分がその“媒介”になることが自分の役割で仕事なんだと言う結論に至ったんです。もちろんそれで、自分自身も楽しくなれて笑顔でそれに取組めることも大事なんですが。」

ーーーなるほど。その手段は何でもいいんですね。

「はい。その言葉を導き出したことで、同時にそれが自分の判断と行動の“ものさし”になりました。例えば結婚式の演出ひとつとっても、それが皆を笑顔にするかどうか、一方が笑顔になって一方がそうじゃなくなるというならそれは、ものさしにそぐわないことだから考え直す。二つの選択肢があって、どちらかを選ぶとすれば、どちらが笑顔になれるかが選ぶ基準になる。とても明確になりました。」

ーーー人生の指針が明確になるというのは強いですね。そういったご自身の経験も含めて、小誌WEBマガジンの読者層、特に次に続く世代の男性に向けて、伝えたいことがあればお聞かせください。

「うーん・・・。とにかく人に会いにいくということですかね。私自身、人と会って、人とのご縁に恵まれて、今現在があるのですが、やはり人は人からしか学べないと思います。悩んだときほど、楽しいときほど、悲しいときほど、理由を付けてでも人に会う。知らない人にも積極的に会いにいくべきだと思います。そして、いろんな人の成功談もいいけど、失敗談も聞きにいく。失敗って、そこで終わらせたら失敗だけど、それを次に活かせば経験になり財産になるんですよね。そして私にそれを教えてくれたのも、やはり人からなんですよね。だから人に会いにいきましょう!」

 

ーーーSNS全盛の今だからこそ、リアルな人とのコミュニケーションが重要ということですね。では最後に、今後に向けての目標や夢のようなものがあれば、お聞かせください。

「10年先のことはわかりませんが、いま沖縄はリゾートウェディングを重要な産業として、官民あげて県外、海外からのインバウンド獲得のために取組んでいますが、施設の整備やマニュアルどおりのサービスだけではなく、本当の意味でのホスピタリティが求められているのではないでしょうか。結局また来たいと思っていただくには、そういうゲストとホストの人のふれあいって大きいと思うんです。やっぱり人なんですよね。だから人材育成というか、コミュニケーション力を高めていく。そういったことを今後は教え伝えていけるようなこともやっていければと思います。」

ーーーそうですね。人材育成は急務だと思います。梅潤さんのコミュニケーション力を、ぜひ次の世代に伝えていってほしいと思います。今日は、いいお話をたくさんお聞かせいただき、どうもありがとうございました。

 

SNSによる非リアルのコミュニケーションが進化した現在、それはそれで活用しながらも、なお、人と人のリアルな触れ合いを信じ、独自のスタンスで追求しつづける梅潤さん。常に誰かと繋がっていたいという人が本来持っている普遍的な欲望を「笑顔の架け橋」で繋ぐ“媒介”として、今後の活躍にとても興味をそそられた。そして話しても話しても話が尽きない、本当に人が好きなんだなあと思えるナイスガイとの長いインタビューとなった。


■ 梅田 潤さんへの仕事依頼、お問合せはこちら

・オフィス梅田 ホームページ:http://www.umejun.jp/

・オフィス梅田 facebookページ:https://www.facebook.com/officeUMEDA/

・梅田 潤 facebookページ:https://www.facebook.com/umejun.1974

 

■ 取材協力:沖縄イル・ド・レ チャペル(旧ラ ロシェル)
今回のインタビュー場所をご提供いただいたのは、恩納村の高台に2017年3月にオープンした沖縄イル・ド・レ店。“料理の鉄人”として有名な坂井宏行氏がオーナーシェフを務める東京の名店「イル・ド・レ」、その名を冠したカジュアルレストランです。チャペルとレストラン、ドレスサロンからガーデンまで敷地内に揃った一軒家を、20名様より貸切可能。ゆったりとした寛ぎの空間で特別な時間を過ごせます。
ホームページ:https://www.petitwedding.com/shops/onnason/

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